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文化から知る西表島

自然とともに生きる、西表島の文化

Pink Poppy Flowers

西表島には、豊かでときに厳しい自然と寄り添いながら育まれてきた、

島ならではの文化があります。

この島の自然とともに、その文化を守り、未来へとつないでいくこと。

それは、私たちにとってとても大切なことです。

祭り-祈りとともにある暮らし

西表島では、500年以上の長いあいだ稲作が営まれています。

 

豊かな恵みをいただくために、稲作の節目ごとに、神に願ったり感謝を捧げたりする数多くの祭事が、受け継がれてきました。

なかでも古い歴史をもつ干立や祖納、船浮では、毎年旧暦9月に「節祭(シチ)」が行われます。これは農耕文化における新年を祝うもので、海の彼方から「みりく世(豊かな世)」をもたらす神を迎え、五穀豊穣や、集落の平和、繁栄を祈願します。

 

また、米刈りが終わる旧暦6月には、その年の収穫に感謝し、翌年の豊作を願う「豊年祭」が行われます。祈りの儀式のあとには、収穫した稲藁で大綱をつくり、東西に分かれて大綱引きを行います。これらは一年を通して行われる祭事のごく一部にすぎません。

沖縄の各地からの移住によって開拓された比較的新しい集落にも、それぞれの集落の人たちが築いてきた祭りがあります。

 

どの祭りにも、厳しい自然の中で、その恵みに感謝し、助け合って生きてきた先人たちの思いが込められています。

 

祭りは、祈りとともに暮らす西表島の人々にとって、かけがえのない営みなのです。

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古謡・民謡・踊り- 歌に込められた島の記憶

古くから島の祭事の祈願では、「ジラー」「アヨー」「ユングトゥ」といった古謡が歌われてきました。


これらは三線や太鼓を使わず、声だけで歌われるものです。やがて1700年代ごろからは、三線を使った民謡が島の各地で生まれ、歌い継がれてきました。


美しい情景から農作業のようす、恋物語まで情感豊かに歌詞が紡がれ、当時の島の暮らしを思い浮かべることができます。


今では多くの歌に踊りがつけられ、島の代表的な芸能として、さまざまな場で歌い踊られます。


歌や踊りは、島の暮らしの中にしっかりと根づき、人と人とを結び、島の心をつなぐのです。

島の言葉-バシマムニ

西表島をはじめとする八重山の島々には、それぞれ独特の方言があります。

 

八重山語(八重山方言)は、沖縄本島周辺や宮古諸島の方言とはちがう系統を持ち、ユネスコが発表する「世界の消滅危機にある言語」の中でも「重大な危機」にあるとされています。

 

西表島の方言は「バシマムニ(我が島の物言いの意)」と呼ばれ、島の文化や営みの根幹を支えてきました。

 

けれども最近は、特に若い世代で話す人が少なくなっています。「バシマムニ」を未来へ残すために、今、世代を超えた取組みが求められています。

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手わざ - 自然とともに暮らす知恵

島の人々は、植物の特性をよく知り、無駄なく生かす知恵と工夫を持って暮らしてきました。

山の木やマングローブは木材や炭に、田んぼの周囲には竹を育てて、必要な道具を自分たちの手で作ってきました。植物の茎や葉でかごを編み、筵(むしろ)や草履、箒(ほうき)など、暮らしに欠かせない道具を作り、子どもたちの遊び道具も作ってきました。

 

また、バショウや苧麻(ちょま)から糸をつむぎ、植物から染料を取り、機を織って布をつくりました。昔の人の植物との付き合い方やその手わざには、目を見張るものがあります。

大切なのは、「必要な分だけをいただく」こと。植物を採るときも、すべてを取りつくすのではなく、株を残して次の成長につなげていました。

 

先人たちは、自然と調和しながら生きる“持続可能な暮らし”を、ずっと昔から実践していたのです。

私たちが、いま触れているこの西表島の文化には、時代を超えて受け継がれてきた先人たちの知恵や祈り、そして自然への敬意が詰まっています。

 

今の時代だからこそ、西表島の文化から改めて学べることがたくさんあり、これを未来にしっかりとつなぐことは、私たちの責任でもあるのです。

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