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営みから知る西表島

自然の中で織りなす営み

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西表島で発見されている最も古い遺跡は、

先島諸島の先史時代を代表する下田原期(しもだばるき)のもので、

少なくとも3500~4000年前から島に人が暮らしていたことがわかっています。

 

狩猟採集の時代からやがて農耕の時代へと移り変わり、500年以上にわたり稲作が営まれてきました。

米作り

水が豊富な西表島では、長い間米作りがおもな生業とされてきました。

 

琉球王国の時代、米はお金と同じような価値を持ち、人々は米を「人頭税」として琉球政府に納めていました。

 

土地改良が進んだ今は、田んぼは県道沿いの平野部に集まっていますが、かつては集落周辺や山の斜面、浦内川や仲良川の中流域などにも広がっていました。

 

川の流域の田んぼは、山からの有機物が豊富で、天然の美田として知られていました。

 

時代とともに作り方や場所は変わっても、米作りは今も島に欠かせない営みです。

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山や海からの恵み

昔から人々は山に入り、カマイ(イノシシ)を捕っていました。

 

最古の遺跡からもその骨が出土しています。今でも冬の猟期に捕れるカマイは、島のごちそうです。

 

カマイは人々にとっては恵みであると同時に、いつの時代でも田畑を荒らす厄介者。山の中には集落を囲うように、サンゴや岩で作られた猪垣がのこり、先人の苦労を物語ります。

 

山からは、ほかにもタケノコや山菜など、季節ごとに豊かな恵みをいただいてきました。

海もまた自然の恵みにあふれています。電気のない時代、海は天然の冷蔵庫のようなものでした。

 

人々は潮の満ち引きに合わせて海へ出かけ、魚や貝、海藻を必要な分だけいただきました。

台風の通り道とされる八重山では、自然は時に脅威でもあります。

 

人の力ではどうにもならないからこそ、自然を敬い、祈り、調和しながら暮らす知恵が育まれてきました。

産業の発展

インフラが整い、人や物が容易に行き来できるようになると、島の暮らしは大きく変わりました。

 

暮らしの営みはやがて産業へと発展していきます。

農業は機械化され、稲作に加え、明治時代から栽培されていたサトウキビも、製糖工場の稼働によって本格的に生産されるようになりました。

 

台湾から技術が伝わったパイナップルやマンゴーも島の名産品として定着しました。

 

最近では、環境に配慮した栽培や有機農法に挑戦する若手農業者も増え、島の農業は進化を続けています。

また、畜産業(肉用子牛生産)も重要な産業となり、牧場に牛が放牧されている姿は、島の風景の一部として馴染んでいます。

海からの豊かな恵みも漁業として発展し、カツオ漁がとても栄えた時期もありました。

そして何より大きな変化は、観光という新たな産業。

 

旅行の一般化が進む中で、西表島は「東洋のガラパゴス」と称され、その希少で美しい自然が多くの人々を惹きつけるようになりました。

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コミュニティーの力

いくつもの産業が重なり合うことで、島の基盤は安定しました。

 

仕事があること、子供がいることは、島の持続可能な発展にとって重要ですが、島の営みの中では人々の結びつきもとても大切です。

 

豊かである一方、厳しい自然環境の中での暮らしだからこそ、人々は助け合い、祈りをともにし、日々を支え合ってきました。

 

このつながりは現代でもとても大切にされ、島を支える大きな力となっています。

自然経済から貨幣経済へと移る中で、生業や暮らし方、人との関わりは変わりました。

 

しかし、祭事や文化、地域との結びつきを大切にし、山や川、海の恵みを感謝とともにいただく…。

こうした昔からの「営み」は現代にもたしかに受け継がれています。

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